A Life with Volkswagen
横川謙司さん
初代ゴルフ、初代カブリオ、7代目GTI

文・金子浩久
撮影・田丸瑞穂

フォルクスワーゲングループの“聖地”

 アウトシュタットには、いつかまた行きたい。
 フォルクスワーゲン・グループ各社のブランドコンセプトを表現したパビリオンや、グループを超えた自動車発展の歴史を学べるミュージアム、レストランやカフェなどが広大な敷地に点在している。芝生と池が続いて、歩いているだけで気持ち良く、時間がいくらあっても足りない。夏の屋外コンサートや冬のアイススケートなど、アクティビティもたくさん用意されている。
 天高くそびえ立っている2本のガラス張りのタワーがあって、ここに購入した新車を受け取りに来るクルマ400台が一時的に保管されている。各々の地元ディーラーで購入手続きを済ませた人々はここまで出掛けてきて向かいのホールの中で自分のクルマを受け取ることができるのだが、1階は当事者とスタッフしか入れない。だが、2階からならば眺めることができて、これがまた心暖まるのだ。

 タワーから下ろされ、ホールのフロアに運ばれてきた自分のクルマを眼にした瞬間に、みんな決まって笑顔になる。小躍りして飛び上がる人もいる。子供だったら駆け出す。スタッフから操作方法などのレクチュアを受け、キーを受け取り、ホールから出発していく。
 聞けば、自宅に直帰する人は少なく、受け取ったばかりの新車であちこち巡りながら、自動車旅行を楽しんでいくのだという。新車を買うということは自分と家族の近未来を肯定するわけだから、ホールは喜びで満ち溢れている。

 アウトシュタットでは、この受け取りサービスをなんと年間に約5万台も購入者が利用していると聞いて、さらに驚いた。引き取りに行く分、販売価格から差し引かれるのではなく、反対に手数料が加算されるのにもかかわらず人気を集めているのだ。なにか大切なことを示唆しているような気がしてならない。クルマに特化したアミューズメントパークとして楽しむだけでなく、このようにアウトシュタットを訪れると教わることが多い。

10回行って、ゴルフ3台、ミニカー5000台

 そんなアウトシュタットのタワーの模型の画像が、ある日、SNSに投稿されていた。
 いったい何のために作られて、作ったのはどんな人なのだろうか?
 そのアカウントの過去の投稿を見てみると、他にもいろいろとミニチュアで制作されている。さっそく、ダイレクトメッセージを送ったところ、すぐに返信をもらった。製作した人はアウトシュタットには10回も訪れているとのことだった。
 10回!
 他にも、驚かされることを聞いたので、会いに行ってきた。横川謙司さんの自宅を訪ねると、新旧のフォルクスワーゲン・ゴルフ3台が駐まっていた。初代のE(当時の日本仕様)、カブリオ、7代目GTI。

 タワーを見せてもらうと、その精巧さに舌を巻いた。全面がガラスで覆われている本物と同じように、透明な樹脂で作られている。何かの既製のキットを組み立てたのではなく、横川さんがゼロから作り上げた。
 20角柱とも呼べる形状をして、1階あたり20台がタワーの外周部分に外側に向くかたちで配置され、それが20階重なった構造となっている。中心部分にはクルマが置かれたパレットを出し入れさせるメカニズムが上下動するようになっている。
 横川さんのタワーも同じようにミニカーを400台収めることができる。そのために400台ものフォルクスワーゲンのミニカーを確保するのは大変ではないか、と心配する必要はない。ご覧の通り、部屋の四面の壁が棚になっていて、ミニカーがビッシリと収められているのだ。
「だいたい3500台ぐらいあります。他に1500台ぐらいありますが、仕舞ってあります」
 合計5000台ものミニカーコレクションのほとんどは、ゴルフ以降の水冷エンジンを搭載したフォルクスワーゲン各車だ。
「ゴルフ2に乗っていた1994年から集め始めました。最初の1台は、友人がプレゼントしてくれたものです」

 横川さんによれば、その頃はゴルフのミニカーはあまり見掛けなかったし、意外だったという。
「何百万台も製造されるゴルフのような実用車はミニチュア化などされないだろうと思っていたからです」
 最初の1台を手に入れてからは、自分でも玩具店やフリーマーケットなどを巡って集め始めた。
「初めてドイツに行った1996年には、アウトミュゼウム(注:アウトシュタット近くにある、フォルクスワーゲンを集めた自動車博物館)を訪れました」
 この時、彼の地のオモチャ屋を回って買い集めたゴルフのミニカーが、なんと70台。
「その時は、まだドイツ語ができなくて、不自由な思いをしました。店の人ともっとコミュニケーションしたかったので、帰国後に、日常会話から始めて、クルマやミニカー、模型関連のドイツ語を勉強しました」

 クルマのナンバープレートを旅行者でも作れると知ると、ドイツ語を駆使して注文したりもした。
「レンタカーのカウンターでも、ドイツ語が役立ちました」 
 日本でもヨーロッパでも、レンタカーを借りる時にクラスを指定しなければならないが、車種まで指定する人は珍しい。申し込み時に聞き入れてくれたとしても、貸し出しカウンターでその通りの車種が間違いなくあてがわれるとは限らない。そこを粘って、“どうしても、ゴルフに乗りたい!”“ウォルフスブルクに行くのです”と交渉するためには、ドイツだったら間違いなく英語よりもドイツ語の方が効き目があるだろう。
 10回ものアウトシュタット行きは奥様連れの時もあれば、一人旅もあった。それにしても、10回はスゴい。アウトシュタットのあるウォルフスブルクはドイツ北部にあるので、日本から出掛けた場合にはフランクフルトやミュンヘンの空港から往復しなければならないのだ。
 タワーの模型、3台のゴルフ、5000台のミニカー。
 ひとつだけでも驚いてしまうのだがスゴいけれども、三つも実現しているのは、横川さんのゴルフへの愛と情熱の深さ以外の何ものでもない。

初代から8代目ゴルフは進化の連続

 それがいつ生まれたのかというと、1992年に社会人となり2代目ゴルフを購入した時のことだった。自宅近くのヤナセの中古車センターで88万円で売られていた。
「試乗させてもらって、10メートルで感じました。“あっ、自動車って、コレなんだ!”って」
 硬めの乗り心地と、重くダイレクトなステアリングなどが、学生時代にずっと乗っていた父親の日本製4ドアセダンと対照的だった。

「父のクルマからは、“運転するとブワブワして怖いな”という印象を受けていましたから、ゴルフのあまりの違いに驚かされました」
 ウインドレギュレーターは手巻き式と実質的なのにホーンはダブルだったり、何を重視して商品化されているかという点も父親の日本車とは異なっていた。
「何もかも、オシャレに感じました。ゴルフに特別な予備知識を持っていたわけではありませんでしたが、すぐに購入しました」
 横川さんのゴルフへの愛と情熱は、その1988年型Ciから始まった。

「直進安定性の高さに感心しました」
 走行性能や実用性の高さを満喫しながら、なぜ、そのようなクルマとして成り立っているのかに興味が湧いてきた。ゴルフについて書かれた本や雑誌を渉猟した。
「初代ゴルフに乗ってみたくなりました」
 4年3万km乗ったCiを弟に譲り、1992年型のカブリオを245万円で購入した。
 3年後に水色の初代のE、その後に引っ越してGTIなどを追加し、2013年にGTIを現在の白いものに買い替え、現在の布陣になった。

 横川さんを夢中にさせ続ける、ゴルフとは、いったいどんなクルマなのだろうか?
「初代からコンセプトが一貫しているクルマです。大人4人と荷物を乗せてアウトバーンを連続して高速走行できる直進安定性と走行性能が確保されています」
 もちろん、性能や装備などは時代に応じてアップデイトされているのだが、基本コンセプトは変わっていない。
「ゴルフに飽きてしまうことはないでしょう。初代から現行の8代目まで進化し続けて、裏切られるようなことがありませんから」
 つまり、ブレていないということだ。僕も賛同する。
「ゴルフで助かったこともありました。走行中にフロントタイヤがパンクしたのですが、進路が乱されることもなく止まることができました。ネガティブオフセットジオメトリーが理にかなっていて、実際に効果があることを体験できました」

最大のチャレンジ

 奥様も、ゴルフの実力の高さを認めている。
「ゴルフは完成しているから、ワゴンは要らないわね」
 最大の理解者を得て、心配することは何もない。
 と、ここまで書いてきたが、横川さんのゴルフ愛と情熱がさらに深まるのは、実はこの先なのだ。アウトシュタットのタワーだけでなく、工作には子供の頃から親しんできていて、さまざまなものを作ってきた。数年前には、ホンダST1100という大型バイクが模型化されていないので、タイヤ以外のすべての部分を3Dプリンターを使ってパーツを作って組み立てた。
「CADの使い方を覚えるのに8か月掛かり、難しかったけれども勉強になりました」

 そして、現在、取り組んでいるのが初代ゴルフのピックアップトラック「キャディ」のキャンピングカー製作だ。模型ではなく、実車。
 荷台に箱型キャビンを載せただけのものはいくつも存在しているのだが、横川さんが目指しているのは一体型に成型されたFRPボディを組み合わせたものだ。過去に、ドイツのキャンピングカーメーカーが同じ趣旨のプロトタイプを作ったらしいと、その写真までは把握している。
「無いものは作ります」
 微笑みながら、そう言って見せてくれたのは検証のために作った模型。
「FRPと鉄骨の組み合わせ方と、屋根の開閉ヒンジの構造を検証しています」
 コロナで遅れているが、知り合いのオーストリア人コレクターから譲ってもらったキャディを1台、日本へ送る予定だ。積み替えるエンジンとトランスミッションは、すでに日本で確保済み。
「2年後の完成を目標に設定しています」
 横川さんが他の愛好家たちと決定的に違うのは、何でも自分で作ってしまおうという姿勢だ。

 何を、どう作るか?
 既製品のキットなどと違って、ゼロから何かを作り出すためには自問自答が連続する。答えは、どこにも書かれていない。自分で作るしかない。キャディのキャンピングカーとなったら簡単ではないだろう。ゴルフに心酔し続けている横川さんにとって最大のチャレンジとなるはずだ。

取材・執筆
金子浩久

モータリングライター。1961年、東京生まれ。
クルマを、社会や人間とともにあるものとして取材活動を行っている。
代表作「10年10万キロストーリー」は、一台のクルマに10年もしくは、10万キロ以上乗り続けた人を訪ね、人とクルマが織りなす物語を記録した、インタービューノンフィクション。主な著書に「セナと日本人」、「地球自動車旅行」「ユーラシア横断1万5000キロ」などがある。


写真
田丸瑞穂

フォトグラファー。1965年広島県庄原市生まれ。スタジオでのスチルフォトをメインとして活動。ジュエリーなどの小物から航空機まで撮影対象は幅広い。また、クライミングで培った経験を生かし厳しい環境下でのアウトドア撮影も得意とする。