会社概要
フォルクスワーゲン グループ ジャパン
株式会社概要
株式会社概要
会社概要
商号
フォルクスワーゲン グループ ジャパン 株式会社(略称:VGJ)
所在地
<本社>
〒441-8550 愛知県豊橋市明海町5番地の10
<東京事務所>
〒140-0001 東京都品川区北品川4-7-35 御殿山トラストタワー18階
Tel. 0120-993-199 (フォルクスワーゲン カスタマーセンター)
<横浜事務所>
〒220-0012 神奈川県横浜市西区みなとみらい4-6-2 みなとみらいグランドセントラルタワー6階
株式
資本金 231億7410万円
ドイツ連邦共和国、ウォルフスブルグ市に本社所在のVOLKSWAGEN AGの全額出資
役員
代表取締役社長 マティアス シェーパース
代表取締役副社長 アダム パスタナック
監査役 金山藍子
決算日
12月31日
フォルクスワーゲン ジャパン 事業概要
フォルクスワーゲン ジャパンは、日本におけるフォルクスワーゲンの車両および部品の輸入販売、各種マーケットリサーチ、広報・宣伝活動、ディーラー開発および支援、アフターサービスを主な事業としています。
本社は全国各地への物流に適した愛知県豊橋市にあり、車両の陸揚げから販売店に向けて出荷される前の最終確認、出荷、アフターサービスに至る実車を中心とした機能(輸入配車、パーツデポ、テクニカルサービス)と人事、総務、経理資金、財務管理、情報システムなどの機能が集結しています。
また東京事務所には、全国のディーラーネットワークの統括や販売計画、販売施策や制度の企画・運用を担当する営業関連、商品企画、広告宣伝など担当するマーケティング関連、そしてアフターセールス関連、さらに社内外とのコミュニケーションを担う広報があり、リアルタイムで効率的な情報の収集と発信を行っています。
ごあいさつ
フォルクスワーゲンは、1953年に日本における正規輸入を開始してから現在に至るまで、 “People’s Car”として親しまれています。
“People’s Car”とは、それぞれのお客様の様々なニーズにマッチするクルマであることを意味します。お友達と出かけたり、ご家族と共に過ごしたり、そして純粋に運転を楽しんだり、お客様が求めるものはそれぞれです。それらを叶え、より多くのお客様に楽しいカーライフを提供するためのクルマ、それが“People’s Car”です。
また、一部のハイエンドモデルに搭載される先進技術やクオリティを、より幅広いモデルに展開することも“People’s Car”としての使命であると考えています。
私たちフォルクスワーゲンは、常にヒトを中心に考え、その人のライフスタイルの中でパートナーとなるクルマを提供していきます。
ディーラーネットワーク
フォルクスワーゲン ジャパンは、正規ディーラーを全国に展開し、輸入車ブランド最大の店舗数を有しています。
正規ディーラーでは、ご購入からアフターサービスに至るすべての過程において、お客様にフォルクスワーゲンブランドの価値を体感していただくことを目指しています。全国どこでも均一で、レベルの高いサービスを提供できるネットワークを構築するため、フォルクスワーゲンに関する専門のトレーニングを受け、最新の製品情報と技術を身につけたセールスやサービススタッフを多数配置。最新モデルの情報・資料のご提供や試乗を通じて、お客様に心から納得してご購入いただけるよう努めています。
このように、今後も多くのお客様に安心をお届けすべく、尽力してまいります。
豊橋インポートセンター
フォルクスワーゲンのインポートセンターは、 1992年に愛知県豊橋市明海町で本格稼働し、国内にある輸入車インポート施設としては最大規模を誇ります。
東京ドーム約8個分の約37万㎡もの広大な敷地には、フォルクワーゲン専用埠頭をはじめ、テクニカルサービスセンター、カーサイロ、中央部品倉庫、そして、トレーニングセンターなどが一堂に集結。
この豊橋インポートセンターにある明海埠頭第1号岸壁では、世界各地の生産拠点で組み立てられた車両が陸揚げされます。陸揚げされた車両は、豊橋インポートセンター内のテクニカルサービスセンター(TSC)で、販売店に出荷される前の型式指定完成検査から最終検査までを行います。厳しい検査に合格した車両は、豊橋インポートセンターから、全国の販売店に運ばれていきます。
日本におけるあゆみ
1950年代
1953
● フォルクスワーゲンの日本への本格的な輸入開始。
1980年代
1983
● フォルクスワーゲンヴェルクAGは、日本でのフォルクスワーゲンの輸入販売強化を目指し、フォルクスワーゲン 株式会社を設立。
1989
● フォルクスワーゲンAGによる日本での販売・サービスネットワークの構築を目指し、フォルクスワーゲン 株式会社が輸入権を取得。
● フォルクスワーゲン 株式会社からフォルクスワーゲン アウディ 日本 株式会社(以下:VAN)に社名変更し、実質的な輸入販売を開始。
1990年代
1990
● 愛知県豊橋市にインポートセンター建設用地(178,000㎡)を取得。
● 日本でのオートローン、オートリース、クレジットカードの発行・運営、ディーラー向けファイナンス業務のためのファイナンス会社、バンズ ファイナンス 株式会社を設立。
1991
●フォルクスワーゲン アウディ 日本インポートセンター(以下:豊橋インポートセンター)の起工式が行われ、同時にテンポラリーインポートセンターの操業を開始(年間処理能力1万台)。 ❶
● 専用埠頭にVAN初のフォルクスワーゲンを搭載した第1船が入港。❷
● トヨタ自動車株式会社とフォルクスワーゲンAG及びVAN が日本におけるVWとAudiのディストリビューター契約を締結
1992
● 本社を東京都港区から愛知県豊橋市に移転。
● 豊橋インポートセンター完成(設備投資額270億円)。輸入車インポート施設として最大級。 ❸
1993
● 豊橋インポートセンター本格操業開始(全体面積290,000㎡)。
● 販売拠点が100店舗を突破。
1994
● VAN東京事務所を五反田に開設
1995
● フォルクスワーゲン ブランド単独累計輸入50万台達成(1953年以来)。
1996
● フォルクスワーゲン アウディ 日本 株式会社をフォルクスワーゲン グループ ジャパン 株式会社(以下:VGJ)に社名変更。
● 販売拠点が200店舗を突破。
● VGJ東京事務所を五反田から赤坂に移転。
1998
● VGJからアウディ事業部が分離し、アウディ ジャパン 株式会社発足。
● VGJの認定中古車制度(Guaranteed Used Car)が スタート。
2000年代
2001
● フォルクスワーゲンの専売店化スタート。フォルクスワーゲンが全世界で展開しているコーポレートデザイン「ピアッツアコンセプト」の導入を開始。
2003
● VGJによる累計輸入台数50万台達成(フォルクスワーゲンとアウディの合計)。
2004
●5世代目の「Golf」と「Golf Touran」が「インポート・カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞
2005
● フォルクスワーゲン ブランド単独累計輸入100万台達成(1953年以来)。
2009
● フォルクスワーゲンがドイツをはじめ全世界で展開する新のコーポレートデザイン、「モジュラー コンセプト」の導入を開始。 ❹
●6世代目の「Golf」が「インポート・カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞
2010年代
2010
● VGJによる累計輸入台数100万台達成(フォルクスワーゲンとアウディの合計)。
● VGJ東京事務所を赤坂から品川(現住所)に移転。
● トヨタ自動車との「ディストリビューター契約」が終了し、日本におけるフォルクスワーゲン販売ネットワークの統合が完了。
2012
● フォルクスワーゲン、世界統一の新認定中古車ブランド“Das WeltAuto”を導入。❺
2013
● フォルクスワーゲン、日本で正規輸入を開始して60周年を迎える。
● 豊橋インポートセンターが本格稼働開始から20周年を迎える。
● VGJによるフォルクスワーゲン累計輸入台数100万台達成。
● 7世代目「ゴルフ」導入、輸入車として初めて「日本カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。
2014
● フォルクスワーゲン ブランド単独累計輸入150万台達成(1953年以来)。
2015
● フォルクスワーゲン 初のプラグインハイブリッドモデル、「Golf GTE」導入
2017
●日本で初となるフォルクスワーゲンの電気自動車「e-Golf」導入
2018
●日本初となるクリーンディーゼルエンジン(TDI)を搭載した「Passat TDI」導入
2019
●豊橋インポートセンターに第2トレーニングセンター開設
2021
●フォルクスワーゲン初のマイルドハイブリットを搭載した8世代目「ゴルフ」・「ゴルフ ヴァリアント」を導入し、日本カー・オブ・ザ・イヤーにて「2021-2022インポート・カー・オブ・ザ・イヤー」を獲得
2022
●フォルクスワーゲン グループ ジャパン 株式会社がアウディ ジャパン 株式会社を吸収合併
日本における関連事業
フォルクスワーゲン グループ
1938年に「タイプ1(ビートル)」で始まったフォルクスワーゲンは、1950年代にワンモデルブランドから脱皮し、モデルラインアップを多様化してきました。そして1965年にアウディAGの前身、アウトウニオンを子会社にすることにより、マルチブランド化への道が開かれました。80年代に入り、スペインのセアト、そしてベルリンの壁の崩壊後にチェコのシュコダも傘下に収め、90年代後半には、さらにベントレー、ブガッティ、ランボルギーニという高級ブランドをグループに加えました。量販モデル中心の自動車メーカーが上級車ブランドを受け入れることはボリュームブランドの品質を一層高めることにもつながります。世紀が変わり、ポルシェや二輪のドゥカティを追加するとともに、元々フォルクスワーゲン商用車の単独ブランドしかなかった「商用車部門」に大型バス・トラックブランドのスカニアとMANを加え、合計12ブランドを抱えるグループにまで拡大し、名実ともに世界トップクラスの自動車メーカーに成長しました。
フォルクスワーゲン グループのあゆみ
「すべての人々のためのクルマ(フォルクスワーゲン)」、すなわち、「低価格で合理的な小型車」を求める声は、今から100年以上も昔からありました。1930年代のドイツでは、自動車見本市が開かれ「フォルクスワーゲン」に関する複数の提案が高い注目を浴びました。そんな中、Dr. フェルディナンド ポルシェは1934年から4年の歳月を費やし、この「フォルクスワーゲン構想」に基づく研究開発を実施。Dr. ポルシェが目指したのは、その名の通り「万人が安全に運転でき、万人にとって実用的で、そして万人が買えるクルマ」でした。やがて生まれる「タイプ1」は、その後、「ビートル(カブトムシ)」という愛称で広く親しまれ、自動車史上にその名を残すことになります。「ビートル」は、フォルクスワーゲンの本拠地である、ウォルフスブルグ(ドイツ)で生産され、その後のドイツの奇跡的な経済復興の象徴になりました。
一方、名車「ビートル」と同様にフォルクスワーゲンの発展に欠かせないモデルといえば、1950年に量産化された「タイプ2」が挙げられます。このクルマに関するアイディアは、オランダでフォルクスワーゲンの輸入を手掛けていたベン ポン氏の発案です。同氏は、この「タイプ2」の原型となるラフスケッチを描き、当時のフォルクスワーゲンの社長に「このようなクルマを造るべきだ」と提案。提案は採用され「タイプ2」の生産が開始されました。その後、同モデルには、マイクロバス、ピックアップ、救急車、さらには消防車に至る様々なバリエーションが登場するとともに、世界中の多くのお客様に受け入れられました。
1950年代、フォルクスワーゲンのグローバル進出がいよいよ本格化します。北・南米、アフリカ、オセアニア地域など、世界各国に現地法人および製造拠点を設立し、同時にグローバルな販売ネットワークを構築しました。日本におけるフォルクスワーゲンの正規輸入、販売もこの時期(1953年)に始まりました。1955年には、「ビートル」の累計生産が100万台に達し、次々に生産・販売の新記録を樹立していきました。
1960年、フォルクスワーゲンは株式会社(AG)となり、ドイツ連邦政府とフォルクスワーゲンが本社を置くニーダーザクセン州政府がそれぞれ株式の20%を保有することになりました。
1974年、「ビートル」の後継モデルとなる「ゴルフ」が登場し、新たな時代が開かれます。「ゴルフ」は、それまでフォルクスワーゲンが採用していた空冷RR(リヤエンジン+リヤドライブ)方式に代わり、水冷FF(フロントエンジン+フロントドライブ)方式を採用。コンパクトなボディに広大な室内空間、シンプルなデザインと人間工学に配慮したインテリアなどで、世界の自動車メーカーに大きな衝撃を与え、瞬く間に世界的な大ヒットモデルになりました。
1985年、フォルクスワーゲンは外国メーカーとしてはいち早く中国進出を果たし、SAIC(上海汽車工業総公司)との事業提携により、「上海フォルクスワーゲン汽車有限公司」を設立しました。
1986年、3つ目のブランドであるスペインのセアトに続いて、1990年のベルリンの壁崩壊後にチェコのシュコダをグループの傘下に加えます。
1990年代初頭の厳しい社会・経済環境を乗り越えるため、フォルクスワーゲンは、1993年に会長に就任したDr. フェルディナンド ピエヒの下、品質、生産性、収益力の向上を目指して様々な改革を実施。まったく新しい雇用体系として、世界に先駆けて「ワークシェアリング」を導入しました。
90年代後半には、再び力を取り戻したフォルクスワーゲンはすべてのセグメントにおいて“Best in Class”を目指すことを宣言。マルチブランド戦略をさらに推し進め、ベントレー、ブガッティ、ランボルギーニという高級ブランドをグループ傘下に収めました。
1999年、フォルクスワーゲン グループの累計生産1億台を達成
2000年、フォルクスワーゲン本社の所在地であるウォルフスブルグに「アウトシュタット(Autostadt=自動車の街)」がオープン。ここでは、フォルクスワーゲン グループ傘下の各ブランドのパビリオンがあり、それぞれの理念や、歴史、製品が展示されています。また、アウトシュタットは納車センターでもあります。毎年15万台近くのクルマが、アウトシュタットで納車されており、往路は電車で、復路は新車でのドライブを楽しむユーザーが数多くいらっしゃいます。
2002年、21,517,415台目の「ゴルフ」がラインオフし、「ビートル」から生産台数の最も多いフォルクスワーゲンの地位を引き継ぎます。
2003年、最後となる21,529,464台目の「ビートル」がメキシコ工場で生産されました。
2000年代半ば、50年代のブラジルや80年代の中国に続いて、新興国であるロシアやインドにも生産拠点を構えることを決定しました。
2005年、フォルクスワーゲンブランドとして1億台目となる「Golf Touran」がラインオフ。
2008年、商用車ブランドのスカニアがグループに加わり、その後2012年にMANが傘下に加わりました。
2012年、ポルシェAGが傘下に、同年、二輪のドゥカティがアウディAGの傘下に加わり現在の12ブランド体制が構築されました。
同年、車両設計の標準化を推進するため、モジュラー トランスバース マトリックス(MQB)を開発。7世代目のゴルフにより製品としてデビューしました。
2014年、フォルクスワーゲン グループ の累計生産2億台を達成
2015年、会長であるDr.ヴィンターコルンが辞任。後任にマティアス ミュラーが着任し、新体制が稼働。
2016年、フォルクスワーゲン グループ の長期戦略「TOGETHER – Strategy 2025」を策定。e-Mobilityシフトを宣言。
2018年、マティアス ミュラーの後を継ぎ、Dr. ヘルベルト ディースがフォルクスワーゲン AGの会長に就任。 「TOGETHER – Strategy 2025」をさらに推進。
2019年、e-Mobility シフトを具現するモデルとしてID.3 がフランクフルトモーターショーでデビュー。MEBという電気自動車専用モジュールを使って生産される初めてのモデルで、独ツヴィッカウ工場がEVのモデル工場として稼働を開始。 ID.3のデリバリーは2020年。