はじまりはワーゲンバス。e-モビリティの開発物語
Text: Sonja Bördner | Photos: Volkswagen AG | August 2017
電気自動車の研究はおよそ50年前、フォルクスワーゲンTypeⅡ e-キャンパーから始まります。少数のプロジェクトチームで未来のモビリティを研究していたAdolf Kalberlahによって開発されました。
これからはじまる話は、e-モビリティの先駆者の物語です。
»誰もが様々なドライブテクノロジーを研究していました«
全てが始まったとき。
Adolf Kalberlahはこの1970年の出来事を昨日のことのように覚えています。
それはフォルクスワーゲン社がWolfsburgに未来研究センターを設立した年。このセンターの早急な課題の1つがe-モビリティの開発でした。電気化学の博士号を持ち、バッテリー研究の専門家として活躍していたKalberlahが責任者として就任しました。
「世界の石油埋蔵量はあと20年しかもたないだろうと言われていたのです」と彼は笑いながら当時を振り返ります。
しかし、オイルショックと石油の高騰は、1970年代初めに世界の大都市の大気汚染が深刻化していくのと同時に現実のものとなったのです。環境保護が課題として浮上し、誰もがガソリンに代わる自動車の研究をはじめました。もちろんフォルクスワーゲンも研究の最前線を歩んでいました。
TypeⅡ e-キャンパー(電動)
最高速度:70 km/h
航続距離:約70 km
バッテリー重量:850 kg
充電時間:10時間
»100km毎にゼロリッター«
変化の波が訪れてきていたとはいえ、そう現実は変わっていませんでした。しかし、電気自動車の技術に関しては実現化が近づいていました。
Kalberlahは言います。「私たちのチームは比較的独立していて、開発に没頭できました」と。開発チームは、複雑なバッテリーシステムの開発や、モーター制御のプロセスのテストなど、先進的な研究を進めてきました。「今ではほとんど信じられないことですが、アナログコンピュータでハイブリッドエンジンのシミュレーションまで試みました」
そのわずか2年後に、彼らは大手電力会社のRWEとコラボした初めてのクルマを発表しました。それがTypeⅡ e-キャンパーだったです。
“100km毎にゼロリッター”は、e-キャンパー開発のスローガンでした。
「私たちは、電気自動車をとても誇りに思っていました。なぜならシティコミューターとして最適だったからです。公用車やサービスバン、地元圏内の配達などの用途にぴったりなのです。」市内を走る分には、十分なバッテリー容量で、220ボルトのコンセントがあれば、どこででも充電が可能でした。
しかし、200台を越えるテスト車を開発しましたが、実際には20台強の発注しかありませんでした。クリーンな電動自動車は決して安くなく、また重量増もマイナス要因でした。積載されるバッテリーの重量はおよそ1トンで、定期的なメンテナンスにも手がかかります。「特別なジャッキやフォークリフトを使ってバッテリーを一旦吊り上げて車両から外し、また積載する手間がかかりました」
RWEは空になったバッテリーを新しいものに素早く換える技術を開発しましが、手間がかからない新しいバッテリーの開発は、e-キャンパーの開発から数年後のことでした。
「それでも私たちは電気自動車の未来を信じていました」とBraunschweigは語っています。「石油が枯渇しても発電はしていけることを当時から確信していました」
1976年には、電気自動車の最初のGolfが作られました。1981年にはテスト目的ではありますがGolf I CitySTROMerが限定で販売され、Adolf Kalberlah自身も、この電動Golfを毎日のように運転していました。「いつも延長コードを持ち歩いていました」「充電が必要な場合は親戚の家のバルコニーから電源を借りました」ナンバープレートに排ガス表記がついていないことを理由に警官に止められたこともありました。バッテリーの充電が切れた時にはエンジンを使って発電していました。
電気自動車がまだまだ実用的ではないと考えられていた時代に、彼のような開発者だけがこのように実証実験を行っていたのです。
ミスター e-モビリティ。
1976年のこと。Kalberlahがひと晩で有名人になる出来事が起きました。
ニューヨーク近代美術館で開催された「未来のタクシー」のコンテストに、Kalberlahのチームが開発した電動ドア付ハイブリッドシステムのタクシー「TypeⅡ 電動トランスポータ」をエントリーしたことが発端です。NYから帰国した後、Kalberlahはドイツの人気テレビ番組 "Die aktuelle Schaubude"の生放送でスタジオに黄色のe-キャンパーで登場し、翌日にはすっかり有名人になっていたのです。
彼は当時のことを「当時たった3チャンネルしかなく、この番組をみんなが観ていたからね」と語りました。
その後、彼は「ミスター e-モビリティ」と呼ばれることに。
「私たちは電気自動車のリーダー的存在でした」と彼は言います。フォルクスワーゲン社での彼のチームは、世界中で評判となりました。そしてe-モビリティ分野の専門知識を求めている多くの人々が、Wolfsburgを視察しました。
例えば、米国テネシー州に拠点を置く電力会社の代表団。「水力発電の余剰電力を効率的に利用したい」という理由です。この電力会社はメンテナンスフリーのバッテリーが搭載された10台の電気輸送車を購入しました。残念なことにこのバッテリーはテネシー州の暑い気候に合いませんでしたが、冷却システムの追加をアドバイスし、解決することができました。
»当時はまだ利用者のメリットがありませんでした«
「もちろん挫折もありました」とKalberlahと当時を振り返ります。
70年代、電気自動車のシェアが一向に広がらなかったのは事実です。電気自動車は環境に優しく排ガスを出しませんが、駐車場が整備されていないなど利用者にとってはメリットがまるでありませんでした。時代がついてきていなかったのです。
テレビ番組で未来のフォルクスワーゲンタクシーを解説するAdolf Kalberlah博士。
ビジョンは残り続けました。
電気自動車の構想が完全にお蔵入りになることはありませんでした。
トライ&エラーの日々が続きました。「私はWolfsburgのAdolf Kalberlahを何度も訪ねました」と、RWEの電気自動車のポートフォリオを指揮したEberhard Zanderは回想します。
RWE製のバッテリーを装備した2代目の電動Golfは、1985年に自治体へ納車されて約300万マイルもの実証実験が行われました。毎日50kmの通勤でも試されました。
「道路が混んでいる状況では、電気自動車は最適なクルマです。変速の必要がなく、アクセルから足を離せば電動ブレーキがかかります。渋滞中もリラックスして運転ができます」
ただ、50kmの通勤距離ではたびたびピンチにも陥りました。「長い上り坂や寒い日には、バッテリーの残量計をチェックする必要がありました。そのような状況下では、電気の減りがとても早いので」
テスト期間中のもう1つの課題は、モーターの冷却でした。「制御プロセスが完璧ではありませんでした」とZanderは言います。「しかし、この問題も90年代半ばには解決することができました」
1981年、RWEの駐車場にずらっと並ぶテスト中の電動Golf。
»フォルクスワーゲンの電気自動車は、時代の25年先を進んでいました«
Hagen Arlt
KalberlahとZanderのタッグでも、トロフィーをいくつか獲得しました。
レーシングドライバーHagen Arltは、フォーミュラEの表彰台に立つべく、フォルクスワーゲンのCitySTROMer IIに冷却装置のついたRWEのバッテリーを搭載してレースに参戦しました。シロッコやアウディ80 GTEでレースに参戦していたArltは、当時、電気自動車のレースには懐疑的でしたが、75歳になった今ではとても魅力のあるレースだったと回想しています。
彼は自分自身で軽量化などのチューンアップを行い、e-Golfのポテンシャルを完全に引き出していきました。フォーミュラEのレースはトラックを3周、0.25マイルのスプリント。彼はパイオニアとして、モーターのオーバーヒートを防ぐためにドライアイスで冷やしたり、ダクトを開けたりと工夫をしながら戦っていました。
Hagen Arltは、CitySTROMerの走りに夢中になりました。彼は7回のレースに参戦し、全て入賞しました。
最後に彼はこう結論付けています。「CitySTROMerは時代を25年も先取りしていました」
他にライバル車は不在でした。CitySTROMerの3代目の電動ドライブユニットは20年以上前に開発されました。
1990年代半ばに設計された120台のCitySTROMerのうち、50台は当時のまま今でも走っています。3台は、当時開発に参加したエンジニアが保有しています。電動Golfの専門家は、このエンジニアの子供が所有する2台のCitySTROMersも整備しています。スペアの部品がなくならないよう、機会があれば部品をストックしているそうです。
彼はKasselのFraunhofer研究所で、様々な道路状況のもとで電動ドライブシステムの性能をテストしているので、今でも最先端技術に精通しているそうです。
家族みんなが同じクルマ:エンジニアRoland GaberのGolf III CitySTROMerは、彼の2人の子供LuisaとJonasをも魅了しました。家族みんなが電気自動車を運転しています。